前回のつづきです。
「なぜ、宇宙は完全な自分を捨ててまで、世界を、人を創ったのか?」
言い換えれば、これは人類最大のテーマでもある・・・
「人は、何のために存在しているのか?」という問いです。
答えは、、、正直に言えば、わかりようがありません。
宇宙そのものにならないかぎり、
本当の答えにたどり着けるはずがないのです。
でも、ここで終わってしまっては、おもしろくありません。
宇宙は、せっかく私たちに思考する頭と、感じる心を与えてくれました。
ならば、わからないなりに、考えてみましょう。
内なる宇宙を昇り「悟り」を求めた人々や、
最先端の素粒子物理学や統一理論に挑む科学者たち・・・
この問いに挑んできた先人たちの叡智にも、耳を傾けながら。
では、
……
宇宙は、ずっと「点」でした。
「点」の宇宙は、
すねてがあり、すべてがない状態。
存在し、同時に、存在していない状態。
この世界ではありえない矛盾がひとつに融合した、
完全無欠の世界です。
でも、そんな完璧な宇宙にも、ひとつだけ「ないもの」がありました。
それは・・・「完璧じゃない世界」です。
「完璧な私は、
完璧じゃない世界を持たないという一点で、
本当に完璧なのだろうか?」
「私は、何者なのだろう?」
その問いが生まれた瞬間に、
宇宙の「点」は崩れはじめました。
そして、その瞬間に、「点」の完全性が崩れはじめました。
「不完全性」が、次の「不完全性」を呼び、
その連鎖の果てに、私たちのこの世界が誕生しました。
やがて、宇宙は「人」を創ります。
それは、問いを持ち、問いを探し、問いを生きる存在。
宇宙は、自分のなかに「?」を抱いた。
その「?」の答えを見つけるために、
唯一欠けていた「不完全な世界」を創り、
そこに、自らの分身である「人」を置いたのです。
つまり、人間とは、宇宙が自分を知るために創った「問いの器」です。
宇宙は、自分を理解するために、
世界を創り、
人を創ったのです。
つづく